AIR JAM 2011 後
AIR JAM 2011。
最高の1日でした。
僕は奇跡をこの目で見ました。3日経った今でも余韻に浸って、抜け切れずにいます。ごめんなさい。
ちょっと長いですけど、書きます。
あの日、あの場所に居られて本当に良かった。
Hi-STANDARDの3人が帰ってきたことがあの日の何よりのハイライトだったけれど、それと同じくらい圧倒的だったのがBRAHMANでした。特にTOSHI-LOWさんのMCが本当に凄かった。もうヤバ過ぎでした。カッコいいとかの話じゃなく、言葉のひとつひとつがドンッと心に響きました。
今までのBRAHMANのライヴは、基本的にMC無しだったんですが、3月の東日本大震災以降、MCをするようになったそうです。
TOSHI-LOWさんのあの語感、語り口、何とも言い表せない鋭さ。
『あの頃は、今日みたいな若ぇバンドは居なかったよなぁ…。どこ行っちまったんだ。11年間活動休止したり、解散したり、復活したりよぉ…。』
3万人の会場が静まり返る。
そして…、
『今日という日を誰よりも楽しみにしていた、BRAHMAN始めます。』
と、ニヤリ笑って、次の曲へ。
そのMCにはHi-STANDARDへの想いがこもっていた。もちろん会場は大爆発。
前回のAIR JAMがあった2000年からの11年間、BRAHMANは常に最前線で活動してきた。同世代のバンドが次々に活動休止や解散をしていく中、この4人はこの日をどれだけ待っていたのだろうか。僕では想像も出来ません。
9曲目『ANSWER FOR…』でTOSHI-LOWさんは客席にダイブしてクラウドサーフィン。そのまま、人の波の上に立って話したMCに僕は号泣しました。
『諦めなくて良かった。難波に「AIR JAMやんねぇのか?」って言い続けること。諦めなくて本当に良かった。』
『俺は諦めねぇよ。東北の人達が元の生活に戻るのも、放射能の街に家族の団欒が戻ってくることも諦めねぇ。子供達が幸せに暮らせる未来を作るために、俺たちはやっていく。』
3月11日以降、BRAHMANを中心とするタクティクスレコーズは、ずっと東北の為にお米や飲料水や衣料品を集めて届け続けてくれていました。
11年振りのAIR JAM開催も、ハイスタの活動再開も、TOSHI-LOWさんの働きかけによるもの。諦めなかったからこそ、AIR JAMもハイスタも現実のものとなった。
自意識過剰かもしれませんが、僕はTOSHI-LOWさんが、本当に僕の故郷のことを想って、東北の為に戦って、諦めないでくれているんだと思って、心の底から嬉しかったんです。
気が付いたら涙が溢れていました。久しぶりに肩で泣きました。声も上げていたかもしれません。
今回、何故、何の為にAIR JAMが開催されたか。
僕達がその意志に続いて、大きくして、絶対に届けるんだ。まだまだ続ける。僕達も絶対に諦めない。
改めて固く誓いました。
そして、TOSHI-LOWさん極めつけ。
『いつもはライヴが終わったら死んでもいいって思ってたけど、今日は、今日だけは、ライヴが終わった後に次のバンドが観てぇ』
そう、次のバンドは誰もが待っていたHi-STANDARD。
あのときのあの状況でこんなことが言えるなんて。この人は本当に神様だと思いました。
BRAHMANですでにボロボロになった僕は、この後完全にトびました。
遂に、夢にまで見たあのHi-STANDARDの、あの3人が登場!
横浜スタジアムが割れるほどの歓声と地響き。
難波さんの
『周りが潰れたら絶対手を差し伸べてやってくれ。あと子供の手は離すなよ!』
の一声からの『STAY GOLD』!
なんかもうそれだけで凄い…!
そして、健さんのMC。
『俺たち、Hi-STANDARDっていうバンドなんだけど。知らない方もいらっしゃると思うけど、Hi-STANDARDっていうバンドです。』
『大袈裟に聞こえるかもしれないけど、俺達、日本の為に集まったんだよね。本当なんだって。笑わないでくれよ、本当なんだよ。』
健さんのあの照れ笑いにやられました。
『東北どっちだ?あっちか!届けよう!俺達が力を合わせれば出来ねぇことなんかねぇ!』
『俺達が代わりに戦うんだぜ、マジでよ!』
『天国にいる仲間達にも届けようぜ!』
思いっ切り歌って、思いっ切り踊って、思いっ切り泣いて。
これほど笑顔と希望が溢れた空間は生まれて初めてだったかもしれません。
個人的に抱えていた余計な不安とか迷いとか、要らないものをさっぱり洗い流せました。
終わってしまうのが本当に惜しかった。あの日会場にいた全ての人が同じ気持ちだったはず。
ハイスタの3人もそんな顔をしていた気がしました。
この力と希望を東北へ届けない手は無い。絶対に諦めない!
あの日、あの場所で僕達は強くなれました!
AIR JAM、本当に本当にありがとうございました!!!!
最高の1日でした。
僕は奇跡をこの目で見ました。3日経った今でも余韻に浸って、抜け切れずにいます。ごめんなさい。
ちょっと長いですけど、書きます。
あの日、あの場所に居られて本当に良かった。
Hi-STANDARDの3人が帰ってきたことがあの日の何よりのハイライトだったけれど、それと同じくらい圧倒的だったのがBRAHMANでした。特にTOSHI-LOWさんのMCが本当に凄かった。もうヤバ過ぎでした。カッコいいとかの話じゃなく、言葉のひとつひとつがドンッと心に響きました。
今までのBRAHMANのライヴは、基本的にMC無しだったんですが、3月の東日本大震災以降、MCをするようになったそうです。
TOSHI-LOWさんのあの語感、語り口、何とも言い表せない鋭さ。
『あの頃は、今日みたいな若ぇバンドは居なかったよなぁ…。どこ行っちまったんだ。11年間活動休止したり、解散したり、復活したりよぉ…。』
3万人の会場が静まり返る。
そして…、
『今日という日を誰よりも楽しみにしていた、BRAHMAN始めます。』
と、ニヤリ笑って、次の曲へ。
そのMCにはHi-STANDARDへの想いがこもっていた。もちろん会場は大爆発。
前回のAIR JAMがあった2000年からの11年間、BRAHMANは常に最前線で活動してきた。同世代のバンドが次々に活動休止や解散をしていく中、この4人はこの日をどれだけ待っていたのだろうか。僕では想像も出来ません。
9曲目『ANSWER FOR…』でTOSHI-LOWさんは客席にダイブしてクラウドサーフィン。そのまま、人の波の上に立って話したMCに僕は号泣しました。
『諦めなくて良かった。難波に「AIR JAMやんねぇのか?」って言い続けること。諦めなくて本当に良かった。』
『俺は諦めねぇよ。東北の人達が元の生活に戻るのも、放射能の街に家族の団欒が戻ってくることも諦めねぇ。子供達が幸せに暮らせる未来を作るために、俺たちはやっていく。』
3月11日以降、BRAHMANを中心とするタクティクスレコーズは、ずっと東北の為にお米や飲料水や衣料品を集めて届け続けてくれていました。
11年振りのAIR JAM開催も、ハイスタの活動再開も、TOSHI-LOWさんの働きかけによるもの。諦めなかったからこそ、AIR JAMもハイスタも現実のものとなった。
自意識過剰かもしれませんが、僕はTOSHI-LOWさんが、本当に僕の故郷のことを想って、東北の為に戦って、諦めないでくれているんだと思って、心の底から嬉しかったんです。
気が付いたら涙が溢れていました。久しぶりに肩で泣きました。声も上げていたかもしれません。
今回、何故、何の為にAIR JAMが開催されたか。
僕達がその意志に続いて、大きくして、絶対に届けるんだ。まだまだ続ける。僕達も絶対に諦めない。
改めて固く誓いました。
そして、TOSHI-LOWさん極めつけ。
『いつもはライヴが終わったら死んでもいいって思ってたけど、今日は、今日だけは、ライヴが終わった後に次のバンドが観てぇ』
そう、次のバンドは誰もが待っていたHi-STANDARD。
あのときのあの状況でこんなことが言えるなんて。この人は本当に神様だと思いました。
BRAHMANですでにボロボロになった僕は、この後完全にトびました。
遂に、夢にまで見たあのHi-STANDARDの、あの3人が登場!
横浜スタジアムが割れるほどの歓声と地響き。
難波さんの
『周りが潰れたら絶対手を差し伸べてやってくれ。あと子供の手は離すなよ!』
の一声からの『STAY GOLD』!
なんかもうそれだけで凄い…!
そして、健さんのMC。
『俺たち、Hi-STANDARDっていうバンドなんだけど。知らない方もいらっしゃると思うけど、Hi-STANDARDっていうバンドです。』
『大袈裟に聞こえるかもしれないけど、俺達、日本の為に集まったんだよね。本当なんだって。笑わないでくれよ、本当なんだよ。』
健さんのあの照れ笑いにやられました。
『東北どっちだ?あっちか!届けよう!俺達が力を合わせれば出来ねぇことなんかねぇ!』
『俺達が代わりに戦うんだぜ、マジでよ!』
『天国にいる仲間達にも届けようぜ!』
思いっ切り歌って、思いっ切り踊って、思いっ切り泣いて。
これほど笑顔と希望が溢れた空間は生まれて初めてだったかもしれません。
個人的に抱えていた余計な不安とか迷いとか、要らないものをさっぱり洗い流せました。
終わってしまうのが本当に惜しかった。あの日会場にいた全ての人が同じ気持ちだったはず。
ハイスタの3人もそんな顔をしていた気がしました。
この力と希望を東北へ届けない手は無い。絶対に諦めない!
あの日、あの場所で僕達は強くなれました!
AIR JAM、本当に本当にありがとうございました!!!!
by stereo-time
| 2011-09-22 14:30
| 日記